私事の話題ですが、養蜂との兼ね合いは、私にとって重大な問題だったので記します。
昨日、やっとやっとで両親が合同しました。11月10日に母の浮腫の足が蜂窩織炎で敗血症直前の緊急入院し、ずっと離れ離れだったのです。色々な悪条件が揃ってしまい、一時は、壊死が止まらず、切断の危機もありましたが、傷が乾き、足の方は、リハビリで済むまでになりました。
しかし、90歳の老夫婦にとって、1日でも離れ離れで暮らす事は一大事件なのです。2日、3日、一週間、と、時間が経つにつれて、母は、父に会いたい病に蝕まれていきました。12月に入り、とうとう食事も摂らず、「お父さんに会いたい。」と泣き暮らすようになったそうです。(コロナで、医師が呼ばない限り、面会が許されません。)1か月経って、医師に今後の為に現状を見るように呼ばれた時には、痩せこけて、泣いて連れて帰ってと叫ぶ母が、1歩も歩けなくなった現状でした。状況を電話で知らせる医師が、看取りの話ばかりする事に怒りを覚えていましたが、それ程、母は憔悴して居ました。
今点滴の栄養を切って、父の待つ施設に転院すれば、余命一週間か十日と宣告され、私は哀しい決断をせざるを得ません。母の願いを第一優先にする決断でした。点滴を切ってでも、父に会わせてあげたい。哀しくもありますが、希望を捨てた訳ではありません。一卵性双生児のように一心同体になった両親の愛の力を信じ、母が自力摂取で食事を摂るようになれば、復活できるという希望です。子供や孫の家族愛の力も加算して、母に生きる希望を持って貰いたいと、今月当初から、カフェは2か月の臨時休業とし、受け入れや介護度再認等々の契約、今まで借りて住んでいたサービス付き高齢者向け住宅の解約と引越。。。
母が希望を失ってしまう前にと、段取りを進め、やっと昨日に至りました。
母だけでなく、実は父も食欲が減り、歩く事も殆ど出来なくなっていました。サ高住の時は、私が自由に出入りできたので、毎日、スパルタ式に足も体も動かすノルマを介助して居たので、もう寝たきりが普通の病状である難病でも、杖と私の支えで歩いていたのに、退行するのは一瞬ですね~(^^;
この時期特別に受け入れて下さった特養のラウンジで、とうとう二人は合同を果たしました。
この日が来て良かった~。再会が間に合って良かった~~。゚(゚இωஇ゚)゚。クシャクシャのシワシワのお爺さんとお婆さんの物語ですが、まるで、ドラマのワンシーンのような感動でした。信じて良かった~ヾ(≧▽≦)ノ
大恋愛で、仕事上の研修会で一緒のグループになり、わずか3日の研修会で結婚を決めちゃった、異色の90歳です(#^.^#)
※娘が言うのもナンですが、60年以上経っても、ラブラブは変わらないんですね~、スゴイ事です(>_<)
1日経っても、母の孤立の恐怖体験は消えて居ませんので、食事の量も劇的には増えて居ませんが、母の大好物を持って来てイイと言われたので、色々揃えて持って行きました。
昨日の転院には、京都から妹が日帰りでサポートに駆け付け、明日は、甥っ子も京都から車で会いに来ます。
「看取り」というワードを、何度投げかけられても、私達は、家族愛の力を信じたいと思っています。希望は、どんな薬よりも効く特効薬です୧(˃◡˂)୨୧(˃◡˂)୨
この一年、愛情を二分して献身的に?サポートしたのが、蜜蜂さんです。昨年と違い、春からの分蜂に泣かされ、大分蜂の末の、スムシの浸食。。。
不本意にも住処を蝕まれ、どんどん弱っていく群は、両親の長年苦しんでいる闘病姿とオーバーラップしてしまい、自分に出来る事は、全力でサポートしたいと思って来ました。私が諦めたら自然消滅しかないと思うと、何か私にも出来る事があるはずだと、東奔西走だけは足掻いてきました。
奇跡が重なって、それぞれに苦しんで居た三群が、円満に合同してくれた時は、半年近く蜂娘達が苦しんで居た後なので、相当ホッとしました。
https://38qa.net/blog/313497
現在に至るまでの合同群の営みは、10月当初の私には想像もできません。気のせいって言われちゃうかもしれませんが、私には、生きる力が漲った、力強いオーラが見えます!
先週辺りからの寒さで、ギュッと固まったのか、それとも、合同した頃の蜂の寿命で減ったのか、少し蜂球が小さくなりましたが、是非、このままの合同パワーで、冬を乗り越えて欲しいと願っています(*- -)(*_ _)ペコリ
私は、猫っ可愛がりはしませんが、今後とも蜜蜂さん達にも愛と希望を持って接し、支えて行きたいと思っています。
両親も蜂群も、冬越しの希望は棄てませんよ~。◠‿◠。♥