まるでそのシルエットのかたちに深い異次元の穴があるように、エレガントに音も無くたゆたう黒い宝石。ハグロトンボの雄です。
ここまで光を吸い込むような黒い羽を持った虫にはそう滅多にお目にかかれません。羽化して間もない個体は水辺から離れ森を彷徨い、産卵期になると水辺に戻って縄張り争いをします。
何が素敵かと言えば、草の先端にとまって羽を臥せるときが最も感動的です。それはまるで剣士の居合いのよう!カワトンボの仲間だから、とまる瞬間は羽をまっすぐ束ねるのですが、飛んで来るちいさな虫をつかまえるためには、精神統一をしなければいけない。時折り羽を拡げて臥せるのですが、束ねた状態から臥せるまでの時間の流れ方が素晴らしい。「よし、いつでも来いよ‥‥‥」という気構えで、揃えた羽をスローモーションのように開き、すかさず閉じて獲物を待つ体勢にセッティングされます。省エネモードになり、昆虫標本のように静止する。そわそわイライラしない。時間が止まる。小さな虫が漂ってくる‥‥‥すぐに飛び立たないところがまた憎い。もう視界には入っているのに、確実に仕留められる距離になるまでは物となります。そして瑠璃色のグラデーションをむせ返る梅雨の葉上に残し、矢のように飛び立つのです。