福岡正信翁
1913年年2月2日、愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)に生まれる。
2008年8月16日 午前没
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翁の考え方に深く感銘したおっとりは終生、翁の心に寄り添いたい。
日本みつばちと共に暮らすに、大きくかけ離れた行いを反省して、速やかに改めたい。
地球を壊し続ける生き方を改めて、にほんみつばちが帰りたくなる自然に戻す事に余生を使う。
云うは安し、行う事は難しい。
難しくてもどうすべきかを分かっていないと、どうしようもない。
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以下は完全コピペ:
正信翁は、麦や稲、果樹などの農作物自体が持つ生命エネルギーを活かし、除草剤、防虫剤、化学肥料を一切使わずに作物を収穫する「自然農法」を自ら実践し、その研究成果を一般に公開された方です。
実家のミカン農園に仮小屋を建て、そこで人間は何もしなくてもいいという「一切無用論」を実証しようとミカン栽培を試み始めたものの、一度人間の手を入れてしまったミカン農園は、手を入れ続けなければ維持できず、結局父から借りたミカン農園の一山を全部枯らしてしまったのだそうです。
「私にしてみれば、作物はできるもんだ、作るべきものではない。ほっときゃできるはずだ、放任すればいいんだ、と確信をもってやったのだが、
途中から急にそういう風な方法をとっても、うまくはいかない。
結局、それはただの『放任』にすぎなかったんです」
初めての「自然農法」に失敗した福岡翁はその後も研究を続け、
田を鋤くことも、肥料を与えることも、農薬や化学肥料を散布することもなく、最小の農作業で一般の科学農法に比べて少しも遜色のない収量を得られるような米作り・麦作りができるようになるまでに、その後30年かかったということです。
「一般には、自然が良いぐらいのことは誰でも考えている。
ただ、何が自然なのかがわかっていない。自然を不自然にする最初の出発点は何なのか、ということがはっきりつかめていないんです。
例えば、木のような場合だと、出たばかりの新芽を、ほんの1センチでも、人間がハサミで摘むと、もうその木は絶対にとりかえしのつかない、不自然なものになってしまう。
自然は、人間のほんのちょっとした知恵を加える、ちょっとした技術を加えたときに、とたんに狂ってしまう。取り返しのつかない狂いを生じてしまう。
そうして狂わしておいてそのまま放任しておけば、はじめの自然の秩序というものが狂ったまま、バランスの崩れたまま成長するということですから、枝と枝が衝突する。
新芽をほんの1センチ摘んだために、本来なら枝も葉っぱも葉序に従って規則正しく発生し、その全てが平等な日光を受け、枝は枝の、葉は葉の働きをするのだけれども、人間の手がちょっと入ったがために、枝と枝がけんかする。
交差したり、上下が重なってきて、もつれ合うようになってしまう。
陽があたらない部分はかれてきて、病害虫が発生したりする。
庭の松なんかでも、ちょっとハサミを入れると曲がりくねってきて、もう翌年も剪定をしないと、すぐに枯れ枝が出てくる。あれと同じです。
結局、人間が、その知恵と行為でもって、何か悪いことをする。
それに気づかないままに放っておいて、その悪いことをした結果が出てくると、それを懸命に訂正する。
そして、訂正したことが効果をあげると、それが価値あるりっぱなもののように見えてくる。というようなことを、人間はあきもせずにやっているわけです。
まるで、自分で屋根瓦を踏んで割っておいて、水もりする、天井が腐る、といってあわてて修繕して、りっぱなものができた、喜んでいるのと同じです。
科学者にしたって、夜も昼も一生懸命勉強して、それで近眼になって、偉くなって良いメガネを発明して、有頂天になっている、これが科学の実態なのだと思います。」
( 福岡正信著
『自然農法 わら一本の革命』より)
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https://ameblo.jp/jq2abv/entry-11420547322.html