丸洞を造るにはチェンソーが必要ですが、チェンソーの歴史はそんなに古くなくて1950年が始まりとの事
https://www.oregonchain.jp/webpromotion/column/knowledge/progress.php
1950年になると、重さ16kgほどの1人用エンジン式チェンソーが世界で初めて誕生します。これにより、玉切りだけではなく、立木の伐採用にも使えるようになりました。
丸洞での養蜂を昔の人が採用したのは恐らく自然樹に営巣しているのを知っていて模擬的環境を作れば上手く養蜂できるのではないかと考えたと思います。
江戸時代の多くの養蜂は丸洞だったのでしょうか?
それとも板で作れる角洞か重箱式だったのでしょうか?
養蜂の多くが丸洞だったとすると、江戸時代はチェンソーを使わないで鑿かなにかで作っていたのでしょうか?
チェンソーを使わないで、鑿などで丸洞を造るとは、そんなにまでしてやれたのでしょうか?
質問です。
①江戸時代の巣箱の主流はどんな形状のものだったでしょうか?
②その形状になったのはなぜでしょうか?
③近くに直径40cmを超えるハゼノキが見られますか?
巣箱の材としてハゼノキが一番優れているそうです。
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00727/contents/00023.htm
対馬の伝統的巣箱は、「ハチドウ」、「ハットウ」、「ドウ」と呼ばれる蜂洞である。蜂洞の樹種は様々で、ヒノキ、スギ、クロマツ、ハゼノキ、ヤマザクラ、ケヤキなどであるが、ハゼノキが材としては一番良いとされている。最近では入手しやすく、加工が容易なヒノキ、スギが使われている。