大野谷虫供養は、農業で殺生した虫の供養と五穀豊穣を願って始まった素朴な農民の祭りに、戦国武将の慰霊祭事が融合し、融通念佛宗の影響のもとに組織化されたものと言われています。当番の年を十二支の年に割り当て、知多市と常滑市にまたがる13カ村(現在14地区)を12年で一巡するように決められ、今年は当集落が当番を務めます。
昨年は、コロナ過で中止になりましたが、今年は協議を重ねた結果、万全の感染対策の上に、規模を縮小しての実施になりましたがオミクロン株の脅威が心配です。
12月18日から1月8日まで虫供養道場が開催され、本日は行事の開始にあたる入佛式が執り行われました。道場開催期間中は毎日 朝夕念佛の謹行で功徳の融通をお祈りします。
※お宝を先頭に練り歩き、道場の開催を集落中に伝えます。(雪が舞い極寒でした)
虫供養道場をお迎えした事で、今年1年を振り返ってみますと、ミツバチ飼育の上で意図せずに死なせてしまったミツバチや、飼育での関わりで命を奪ってしまった生物の数は、数え切れない程だと気付かされました。命を奪ってしまった生物には感謝の気持ちに加え懺悔の思いで、日々念佛を唱えてお祈りしたいと思います。
※祭壇にはお宝が大切にお祀りされてます。
伝わる由来は、大野城主だった佐治与九郎が小牧・長久手の合戦にかかわり、豊臣秀吉の手によって滅亡され落城してしまいした。その後、難を逃れた同家の守り本尊である阿弥陀如来の掛け軸を祀り戦死者を供養したのと、元々行われていた虫供養行事が一つになり、大野谷虫供養になったと伝わっています。
元和2年(1616)の年号の入った定板(当番順を書いた板)が残っているとの事で400年以上の歴史になります。愛知県の無形民俗文化財に指定される盛大な行事でしたが、近年は縮小傾向になっています。
これから先は、虫供養道場→巡回念佛→秋季大法要を終え、次の当番地区へと送られます。
400年も前の戦国時代に行われていた虫供養ですが、供養が必要と感じる殺生がどの様に行われていたのか興味深い所ですが・・・。
現世は担い手が少ない上にコロナ過の影響も大きく、伝統行事の維持も難しい時代への移り変わりを感じますね。