車好きがエスカレートしハイスピードジムカーナにエントリー初参加でGTクラス優勝
近畿、中国、四国で開催のレースには欠かさずエントリーしていました。
A級ライセンスを取り鈴鹿に挑戦。
初陣は田舎からのエントリーでは歯が立ちませんでした。
エンジンをチューンナップを繰り返しながら2年鈴鹿に・・・。
手元には大きな借金と家内だけが残りました。(笑)
鈴鹿サーキット西コースです。
2000GTは親友の車です、運転しやすくスピードもパワーも凄かったです。
ヤマハ発動機がチューンアップしています。
ノーマルタイヤでもメーンスタンドの直線では200Kまだ余裕が有りましたが自分の車でないので踏み込めませんでした。友達は帰ってくるまで心配でしたでしょう。(笑)
無傷でお返し出来ました。
レース前日です。これから車検を受けます。80×80×10の箱を当たらないように通過しないといけません。当時は車高は10cm以上、重量は1割まで減量出来ます。
ピットには3人は入れます。 右縦列2人は亡くなりました。
お金に行き詰ったのでカーレースを辞めモーターボートクラブを結成2年6か月 雪の日も乗っていましたね。
ボートを車に積み鳴門競艇場にも数回行きました。
ボートレースの傍ら始めたのがラジコンです。
建設省から河川敷の使用許可を頂模型飛行場を作りました、今も後輩が奇麗にして使っていますね。
これは面白かったですがお金もかかりました。
この土手の向こうが家内の里です。
おまけ
昭和38年私の自慢の高1中2受信機と送信機終段は807です。
真ん中上のコイルは アンテナカップラ―です。 蛍光灯を近づけるとしゃべる度に光りますね。
真空管、トランジスターのころは良かったですね。
今はIC化され手も足も出なくなりました。