もう30年近く昔の話なんですけど、私が学生の頃に一人でアフリカに旅したことがありました。ケニア、ナイロビの空港に降り立ち、陸路で国境をこえてタンザニアへ。ガキの頃から「野生の王国」というテレビ番組を毎週楽しみにしていたのですが、地平線をどこまでも歩いてみたいという目的、行くならアフリカでしょ!と、生まれて初めての海外旅行に飛び出しました。北部のアルーシャという街から中部のドドマという街まで全長430キロをテントと寝袋背負って1ヶ月半で歩く旅です。スワヒリ語で旅のことをサファリと言います。とにかく色々あったのですが、ここではミツバチの話題を、、、
広大なサバンナにはポツリポツリと「バオバブの木」という大木が生えていました。それは大きなものだと樹齢4000年以上、幹の太さがドーンと太くて上の方で枝がたくさん広がっている貫禄のある木で、地平線に小さく見えるその木を目指して歩き、辿り着くとその根本でキャンプしたりしていました。地域にはマサイ族が住んでいて真っ赤なマントと槍を1本、かなりカッコイイ戦士です。ある日そのマサイ族の子供と友達になったのですが、そのきっかけがミツバチでした。
ごく稀にバオバブの木の幹には長さ20センチくらいの杭が等間隔に上方に向かって打ち込んであるものがあり、それを頼りに登って行くことができるようになっていました。それが何のために設置され、登るとそこには何があるのか知りたい、登って遠くを眺めてみたいという衝動に駆られましたが、偉大な老木に作られた天に通じる道には何か呪術的な風情があり、神聖な場所を部外者である私が汚すことにならないだろうかとためらっていたのですが、ある日とうとう我慢ができず登ってみることにしました。頂上まであと半分というところ、地上6メーターくらいまで登ったところで一瞬私の身体が硬直しました。耳元で恐ろしい音が聞こえたのです。太い枝が別れているところに大きなウロがあり、その中に巨大な蜂の巣がありました。私は息を殺しながら静かに降り始めたのですが、下を見るといつの間にかその一部始終を眺めている2人の子供がいて、私の抜き差しならぬ状況を理解してクスクス笑っています。足をかけていた杭が折れそうになり、慌てて木にしがみついた時に蜂たちが一斉に騒ぎ出して、私はそのまま飛び降りて、子供達と笑いながら走って逃げました。しばらくすると彼らの父親が大きな炭の俵を頭の上に乗せて森の中から現れ、子供達と知り合うきっかけになった出来事を身振り手振りで説明したのですが、幹に設置された杭は蜂蜜を収穫するためのものであることや、ウロの無い木には巣箱を縛り付けて季節がくると採蜜することなどを説明してくれました。その夜には彼の家に泊めてもらったのですが、ミツバチの巣箱も見せてもらうことが出来ました。
直径40センチくらい、長さ90センチくらいの丸太を縦に半分に割り、それぞれをくり抜いてちょうどカヌーのようなものを2つ作り、それをロープで縛って再び合わせた簡素なもので、大雑把な作りと乾燥によって丁度良い具合に隙間ができ、蜂たちはそこから出入りできるようになっていました。今にして思えば、おそらく採蜜は巣板ごと全部取ってしまうのだと思います。1つとても驚いたというか、感心したのですが、家の裏に生ごみを捨てる場所があり、そこにはバナナやパパイヤ、トマトやオレンジの皮などを捨ててあるのですが、そこに無数のミツバチがハエのようにたかって甘い部分を吸い取っていました。乾季になると半砂漠地帯になるので花は無く、その不足した分を人間が捨てたゴミから集めて来る。そしてそれを再び人間が蜂蜜という形で収穫する。実に効率の良い虫と人間が協力したリサイクルが行われていました。舐めさせてもらったのですが、カメに入った蜂蜜はビールみたいに泡が吹いて甘酸っぱかったです。泊めていただいた翌朝、朝食もご馳走になったのですが、ミルクですと言って出されたものはヨーグルトになっていて、混ぜるとたまにハエが混入していましたけど、そこに蜂蜜を垂らしていただいた蜂蜜ヨーグルトは実に美味しく感じました。
あれから30年近く経ち、昨年思いがけずに我が家のピザ窯にミツバチが来てくれて、素晴らしい時間を過ごさせてもらっていますが、きっかけについて思い出すのはあの時の素敵な蜂蜜の味です。
大きなバオバブの木
泊めていただいたクリストンガヤさん(右側)のお家。地面に敷き詰めてあるのはコーヒーの生豆です。
オアシスのあるコロという街の喫茶店。手前にあるのは私のザック
残念ながらミツバチの写真はありません!