abeja55
愛知県
子供の頃からミツバチに興味があり、いつか養蜂をやってみたいと思っていました。2023年3月にやっとニホンミツバチの群れを捕獲し、念願の自群養蜂生活がスタートしま...
投稿日:14時間前, 閲覧 41
久世松庵 著 東繁彦 訳注・解説『全訳 家蜂蓄養記』農文協(2023)が面白かった。
社会科学系分野では、こういった研究手法(歴史的なアプローチ)は割とポピュラーかもしれない。生物・農学系ではどうなのだろう?それに何より、いい加減な孫引きではなく、きちんと原典に当って自ら調べ、分野横断的なアプローチで通説に挑むのがアツイ!!何にせよ、『嗚呼!たとえ昆虫学や生物学の背景を有しなくても、こういう切り口からニホンミツバチの研究をする事もできるんだ!』と目から鱗でした。
家蜂蓄養記の訳・解説で知る当時の養蜂も興味深いけれど、より東氏の迸るパッションを感じるのは、ニホンミツバチの起源に関する章。丹念に古い史料に当る中で導かれた、ニホンミツバチは豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に朝鮮半島より朝鮮の養蜂技術者と共に連れてこられ、江戸時代の養蜂ブームで関東地方以北にも広まったものだとする仮説とその論証部分。つまり、大陸と地続きだったような有史以前に侵入し定着した固有種・在来種ではなく、割と近年になって人為的移動によりもたらされた種であると。
一方で、昨年東北大の研究チームが、この本が出版される数ヶ月前に「ニホンミツバチの遺伝的差異と局所適応」を公表したのは記憶に新しい。ミツバチの遺伝子を調べたら、東北・関東・中部と中国、九州の3つに分かれたと。ド素人の理解では、それぞれの場所に適応しているから種の保存・保護の観点的に、安易な移動は止めろという内容だったかなと。
ここで東氏は、ニホンミツバチの自然移入を前提とする彼等の研究が、三つの地域集団への分化は局所適応の結果だと仮定して、気温、降雨・降雪、日照など適応に関連する候補遺伝子の地理的グラデーションが描かれることと期待したものの、期待した結果を得るには至らなかった点を指摘されます。何故そんな結果になってしまったのか?それは当に、古文献に書かれていた通り、そもそもが人為的移動によるものだったから。秀吉の朝鮮出兵が契機となって九州へは島津義弘が持ち帰り、さらに熊野(紀伊半島)へも持ち帰って、熊野の小呂志孫次郎のミツバチが長野・関東に移送されたことと符合すると。また、対馬へは江戸時代初期に朝鮮半島より宋氏が任意で取り寄せたのだろうと。
へぇ。
私にはニホンミツバチ起源の当否を論ずる知識も能力はまったくありませんが、今後議論がどう推移するのか、展開を興味津々で見守り鯛デス。
abeja55
愛知県
子供の頃からミツバチに興味があり、いつか養蜂をやってみたいと思っていました。2023年3月にやっとニホンミツバチの群れを捕獲し、念願の自群養蜂生活がスタートしま...
おっとりさん コメントありがとうございます。東氏の凄いところは、この漢字だらけの古文献を徹底的に読み込んで引用されてるところなんですよね。ダニに関する著書も、引用が半端じゃない!
確かに、一般に、ハチノスツヅリガはセイヨウミツバチ養蜂(明治期に来た)と共に日本に持ち込まれたと説明されますよね。本書によると、スムシに関して言及する江戸時代の養蜂に関する文献の中で、そのサイズについても記録しているのは久世松庵の当書物だけとのことです。寸は約3.3cmですから、ウスグロツヅリガやコハチノスツヅリガではそのサイズになりません。なので、現在分かっている諸々の生態と松庵の記録(幼虫の成長日数・食害された巣の様子)とを照らし合わせて、東氏は、「松庵の言うスムシとは、ハチノスツヅリガのことであり、江戸時代には日本にいたと言える。(本書123頁)」と結論づけています。
しかし、だからといってセイヨウミツバチがこの時代日本にいたとか、セイヨウミツバチと共に持ち込まれたものであるとかと言うことまでは述べていません。明治期にセイヨウミツバチ(の養蜂家)によって持ち込まれたという説を否定するに留まるようです。
13時間前
おっとり
千葉県
ワバチが棲みたくなる洞をつくる。
abeja55さん おはようございます。
詳しくご説明をありがとうございます。
******
昔、abejaってどういう意味?ってお聞きしましたが答えを忘れてしまったので(笑い)
調べたらみつばちの意味でした。
これからもいろいろ教えてください。
スペイン語のみつばちはabejasで 最後にsが付いていますが、、、
7時間前